Author Archives: oonogyousei
予定が壊れた
法の根源にあるもの
今日は、午前中に埼玉運輸支局に行き、一般貨物自動車運送事業の約款変更届を提出し、午後は平和に事務仕事となりました。
そういえば先日、ある方が、法律は浅いのだとおっしゃいました。
確かに物事の道理、道徳といったものから派生している法律は浅いという面もあります。
しかし、浅いからといってそれを無視するわけにもいきません。
宅建業法や廃掃法、あるいは建設工事の入札などにあたっての法律の運用は特に厳格です。
こちらのちょっとした判断ミスが、お客さんの重大な損害にもつながりかねません。
たかが法律、されど法律。
されど法律の部分をよくよく認識していただくことが、行政書士の役割でもあります。
昔、ある先輩から言われた言葉を思い出します。
「法律以外の勉強を怠るな。」
洋の東西における思想、哲学、仏教、古典等々、世の中の道理につながる書籍を今、読み込んでいます。
なかなかとっつきにくいので頭に無事に入っているかどうかはわかりませんが(笑)・・・。
ただ、こうした本を読み、蓄積していくと法律的な判断が求められる仕事の場面でも割と適切な判断がいしやすくなるように感じています。
法の派生している根本を掴むことが重要なのだと思います。
だからといって、法律の勉強を怠るわけにもいきませんけどね。
明日は、建設業許可関係の資料集めや打ち合わせ、宗教法人規則変更認証手続きの打ち合わせと午後はバタバタになりそうです。
こうした時こそ、丁寧に、丁寧に仕事をしていくことを肝に銘じていきます。
ノーヒットノーラン
本日は、建設業の経営事項審査のために県庁へ。
そこで発覚した誤記入。
ずぼらな性格が災いして、こうしたミスがよく起きてしまう。
そのたびに反省はするものの、なかなか直らず。
学習機能がないのか?と自分で自分を疑ってしまう(笑)
午後は、建設業許可申請書類の作成と明日提出する予定の運送業の約款変更届に着手。
夜になって、読書でもしようかと思っていた矢先、ふとつけたテレビが面白そうでつい見てしまう。
内容は、元大リーガーの野茂投手のノーヒット、ノーランの特集だった。
日本での栄光を捨て、道なき道を歩もうとした野茂選手に改めて尊敬の念が湧いてくる。
一流アスリートの心のあり方から学べるものはたくさんある。
仕事に応用できるものもかなり多いと感じる今日この頃。
解散?
今回は、自分が関わるNPO法人の理事会と総会で大阪に行ってきました。
そして、とても残念なことですが、NPO法人の解散が理事会、総会において話題にあがりました。
個人的な感情としては思い入れもある団体であり、解散はしたくありません。
一方、会員数や決算といった数字的にみれば今のタイミングが解散の潮時なのだと思います。
情と合理性のバランス。
会社にしてもNPOにしても、運営を継続していくにあたりこのバランスが問われていきます。
今回の件について確定するには今後の総会の決議が必要ですが、解散後も任意団体として継続していく予定ではあります。
NPO法人という法人格があることにより確かに公的な信用がついていきます。
その反面、いろいろな事務的、コスト的な負担がどうしても増えてしまいます。
話し合いの結果、総合的に考えてみれば法人格にしているメリットは、現状においては少ないという結論に至りました。
決断を遅くするほどに傷口が広がる懸念があるため、思い切りが必要とされます。
事業は始めるよりも、撤退するほうが覚悟が要ります。
結婚よりも離婚のほうが数倍エネルギーが要るのと同じようなものとどなたかがおっしゃっていましたが、確かにそのとおりなのかもしれません。
どのような法人、どのような団体にせよ、その前提となる目的、思い、理念が最も重要なのだと改めて思いました。
体が資本
ここ数日、どうしたわけか腸の調子がよろしくない。
調子が悪くても、いつもなら1、2日で完治していたものが数週間よくない状態が続いている。
さすがに医者に行き、検査をしてもらった。
今日はその結果が出たのだが、大病ではないようで少しホッとしている。
今年で47歳。
加齢によって確実に体にガタが来ていると感じることが多い。
特に45過ぎたあたりからそれを痛感するようになった。
若い頃のように無理が効かないことを体を通して実感する日々が続いている。
自分は自営業のためか、休むことにどこか罪悪感を感じることが多い。
しかし、思い切って休むことも大切なことだと痛感している。
疲れたら休む。眠ければあまり無理をせずに眠る。
それもぐずぐず考えずに思い切り。
無理は禁物で自分のペースといったものがあるのだろう。
そして、メリハリが何より大切なことだと実感している。
体が資本。本当にその通りだとつくづく思う。
仕事ができる心と体であることに日々感謝しなければいけないと思う。
謙虚に素直に
稽古に通うたびに感じるのですが、自身の不器用さ、物覚えの悪さに辟易します。
他の人のお点前や知識の豊富さを知るたびに内心(すごいな~)を連発もします。
一方、手前というのは不思議なものです。
慢心や怠惰な気持ちがすぐに表現されるものだとも感じます。
現在の心のあり様を正確に映し出す鏡のようにです。
だから、下手でも不器用でもいいから着実に、あせることなく積み重ねていければいいと思います。
謙虚に素直に。
器用にできることよりも継続して積み重ねていくことのほうが、もしかすると大切なことなのかもしれません。
雨の日も、風の日も、気分のいい日も悪い日も、ただひたすら通い続けていくことで見えてくるものがあるような気がします。
つまずきの連続の中で大切な何かに気づいていけるように謙虚に素直であり続けたいと昨日の稽古を通して改めて思いました。
人生二度なし
今日は、お通夜に行ってきた。
以前、仕事でお世話になった会社の社長がお亡くなりになったからだ。
まだ70にも満たないのに早い死だった。
ちょうど昨年くらいからこうしてお客さんがお亡くなりになり、葬儀に参列する機会が増えた。
それだけ自分の年を取っているということになる。
こういう機会に遭うと否が応にも死というものを考えざるを得なくなる。
自分自身が亡くなったらどうなるのか?
お客さんはどうする?家族の今後の生活はどうする?
そんなことがふと頭をよぎる。
一日一生という言葉がある。
死を意識するほど一日が本当に大切なものに思えてくるのかもしれない。
人様の死は、つい漫然と過ごしてしまう己の心を揺り起こしてくれるような気もする。
人生二度なし。しっかり生きろ!と。
仏教思想と商人道
今、読んでハマっているのがこの本。形山睡峰著「禅と哲学のあいだ」
仕事をつきつめて考えると日常に行きつくように感じています。そして、そんな日常の根本には命があり、命の先には仏性があり、仏性の先には?最近は、そのようなことをよく考えます。
日常を整えることによって目の前のにある仕事、縁、人間関係も整っていくものではないかと考えています。
では、なぜ整えていく必要があるのか?その明確な答えはなかなかわかりえないところもあります。
その一方、人間を存在たらしめる何者かがそうさせているようにも感じています。
掃除、整理整頓を行えば気分がいい、やるべき仕事、作業をきちっと終えられれば気分がいい。
そんなところに何者かの意図を感じるからです。
仕事をつきつめて考えると己を虚しくすることで人様、世間様のお役に立っていくことになります。
その喜びの渦中に身を置くことが商人道を歩むことと今の自分は理会しています。そして、このことは仏道にも通じていくものではないかと強く思うのです。
昨今では、自己実現、個人の尊厳といった言葉が何の疑いもなく使われている気がしますが、そこを一歩踏み込んで考えていくと違う世界が見えてくるものではないでしょうか?
己、個人とは一体何者か?という疑問です。そんな個は、一体何のために存在しているのか?という疑問にも通じていきます。
禅とは日常であるとするならば、そこには奥深い何かが潜んでいる。
それを探っていくのが哲学ということとなのではないでしょうか?
これからの時代は人間の奥深さが問われていくはずです。だからこその本日の一品でした。
子育て談義
本日は、午前中に建設業許可関係の確認と準備していただきたい資料一覧のファックス。
その次に産廃許可と事業年度終了報告申請のために会社訪問。その足で一般貨物自動車運送事業の営業所移転の件の調査で市役所へ。
その後、経営事項審査の資料を受け取りにお客さんのところに行こうとした矢先、市役所で同支部の某先生(女性)にばったり。
2歳と1歳になる娘さんと一緒でした。ちょうど自分にも2歳と5月に生まれたばかりの息子がいます。
そんなことで子育て談義が市役所にてはじまりました(笑)
つくづく思うのですが、子育ては仕事よりも大変です。
24時間休みなし、子どもからは常に目を離せません。
眠ったとしてもすぐに起きる子もいれば、急な発熱などで病院に駆け込むこともしばしば。
お母さんは大変だとつくづく思います。自分などは仕事が息抜きの時間になっていると感じることもしばしばあるくらいですから。
いずれにしても久しぶりの再会でお元気そうでしたので良かったです。娘さん2人も元気に順調に成長しているようで何よりでした。
自分のような自営業者は休みがあってもないようなもの。
休み返上で働いて稼ごう!と思えど、それでは奥さんにばかり負担もかかってしまいます。
せめて日曜の祝祭日くらいは思いっきり子どもと一緒に過ごす時間をつくっていこうと改めて思いました。
仕事はもちろん大切ですが、大切なのは仕事だけではありませんから。