Author Archives: oonogyousei

解散?

今回は、自分が関わるNPO法人の理事会と総会で大阪に行ってきました。

そして、とても残念なことですが、NPO法人の解散が理事会、総会において話題にあがりました。

個人的な感情としては思い入れもある団体であり、解散はしたくありません。

一方、会員数や決算といった数字的にみれば今のタイミングが解散の潮時なのだと思います。

情と合理性のバランス。

会社にしてもNPOにしても、運営を継続していくにあたりこのバランスが問われていきます。

今回の件について確定するには今後の総会の決議が必要ですが、解散後も任意団体として継続していく予定ではあります。

NPO法人という法人格があることにより確かに公的な信用がついていきます。

その反面、いろいろな事務的、コスト的な負担がどうしても増えてしまいます。

話し合いの結果、総合的に考えてみれば法人格にしているメリットは、現状においては少ないという結論に至りました。

決断を遅くするほどに傷口が広がる懸念があるため、思い切りが必要とされます。

事業は始めるよりも、撤退するほうが覚悟が要ります。

結婚よりも離婚のほうが数倍エネルギーが要るのと同じようなものとどなたかがおっしゃっていましたが、確かにそのとおりなのかもしれません。

どのような法人、どのような団体にせよ、その前提となる目的、思い、理念が最も重要なのだと改めて思いました。

体が資本

ここ数日、どうしたわけか腸の調子がよろしくない。

調子が悪くても、いつもなら1、2日で完治していたものが数週間よくない状態が続いている。

さすがに医者に行き、検査をしてもらった。

今日はその結果が出たのだが、大病ではないようで少しホッとしている。

今年で47歳。

加齢によって確実に体にガタが来ていると感じることが多い。

特に45過ぎたあたりからそれを痛感するようになった。

若い頃のように無理が効かないことを体を通して実感する日々が続いている。

自分は自営業のためか、休むことにどこか罪悪感を感じることが多い。

しかし、思い切って休むことも大切なことだと痛感している。

疲れたら休む。眠ければあまり無理をせずに眠る。

それもぐずぐず考えずに思い切り。

無理は禁物で自分のペースといったものがあるのだろう。

そして、メリハリが何より大切なことだと実感している。

体が資本。本当にその通りだとつくづく思う。

仕事ができる心と体であることに日々感謝しなければいけないと思う。

謙虚に素直に

昨日は、お茶の稽古でした。

稽古に通うたびに感じるのですが、自身の不器用さ、物覚えの悪さに辟易します。

他の人のお点前や知識の豊富さを知るたびに内心(すごいな~)を連発もします。

一方、手前というのは不思議なものです。

慢心や怠惰な気持ちがすぐに表現されるものだとも感じます。

現在の心のあり様を正確に映し出す鏡のようにです。

だから、下手でも不器用でもいいから着実に、あせることなく積み重ねていければいいと思います。

謙虚に素直に。

器用にできることよりも継続して積み重ねていくことのほうが、もしかすると大切なことなのかもしれません。

雨の日も、風の日も、気分のいい日も悪い日も、ただひたすら通い続けていくことで見えてくるものがあるような気がします。

つまずきの連続の中で大切な何かに気づいていけるように謙虚に素直であり続けたいと昨日の稽古を通して改めて思いました。

人生二度なし

今日は、お通夜に行ってきた。

以前、仕事でお世話になった会社の社長がお亡くなりになったからだ。

まだ70にも満たないのに早い死だった。

ちょうど昨年くらいからこうしてお客さんがお亡くなりになり、葬儀に参列する機会が増えた。

それだけ自分の年を取っているということになる。

こういう機会に遭うと否が応にも死というものを考えざるを得なくなる。

自分自身が亡くなったらどうなるのか?

お客さんはどうする?家族の今後の生活はどうする?

そんなことがふと頭をよぎる。

一日一生という言葉がある。

死を意識するほど一日が本当に大切なものに思えてくるのかもしれない。

人様の死は、つい漫然と過ごしてしまう己の心を揺り起こしてくれるような気もする。

人生二度なし。しっかり生きろ!と。

仏教思想と商人道

今、読んでハマっているのがこの本。形山睡峰著「禅と哲学のあいだ」

仕事をつきつめて考えると日常に行きつくように感じています。そして、そんな日常の根本には命があり、命の先には仏性があり、仏性の先には?最近は、そのようなことをよく考えます。

日常とは人の営みであり、それは商売も同様。

日常を整えることによって目の前のにある仕事、縁、人間関係も整っていくものではないかと考えています。

では、なぜ整えていく必要があるのか?その明確な答えはなかなかわかりえないところもあります。

その一方、人間を存在たらしめる何者かがそうさせているようにも感じています。

掃除、整理整頓を行えば気分がいい、やるべき仕事、作業をきちっと終えられれば気分がいい。

そんなところに何者かの意図を感じるからです。

仕事をつきつめて考えると己を虚しくすることで人様、世間様のお役に立っていくことになります。

その喜びの渦中に身を置くことが商人道を歩むことと今の自分は理会しています。そして、このことは仏道にも通じていくものではないかと強く思うのです。

昨今では、自己実現、個人の尊厳といった言葉が何の疑いもなく使われている気がしますが、そこを一歩踏み込んで考えていくと違う世界が見えてくるものではないでしょうか?

己、個人とは一体何者か?という疑問です。そんな個は、一体何のために存在しているのか?という疑問にも通じていきます。

禅とは日常であるとするならば、そこには奥深い何かが潜んでいる。

それを探っていくのが哲学ということとなのではないでしょうか?

これからの時代は人間の奥深さが問われていくはずです。だからこその本日の一品でした。

子育て談義

本日は、午前中に建設業許可関係の確認と準備していただきたい資料一覧のファックス。

その次に産廃許可と事業年度終了報告申請のために会社訪問。その足で一般貨物自動車運送事業の営業所移転の件の調査で市役所へ。

その後、経営事項審査の資料を受け取りにお客さんのところに行こうとした矢先、市役所で同支部の某先生(女性)にばったり。

2歳と1歳になる娘さんと一緒でした。ちょうど自分にも2歳と5月に生まれたばかりの息子がいます。

そんなことで子育て談義が市役所にてはじまりました(笑)

つくづく思うのですが、子育ては仕事よりも大変です。

24時間休みなし、子どもからは常に目を離せません。

眠ったとしてもすぐに起きる子もいれば、急な発熱などで病院に駆け込むこともしばしば。

お母さんは大変だとつくづく思います。自分などは仕事が息抜きの時間になっていると感じることもしばしばあるくらいですから。

いずれにしても久しぶりの再会でお元気そうでしたので良かったです。娘さん2人も元気に順調に成長しているようで何よりでした。

自分のような自営業者は休みがあってもないようなもの。

休み返上で働いて稼ごう!と思えど、それでは奥さんにばかり負担もかかってしまいます。

せめて日曜の祝祭日くらいは思いっきり子どもと一緒に過ごす時間をつくっていこうと改めて思いました。

仕事はもちろん大切ですが、大切なのは仕事だけではありませんから。

力強く生きる?

老いること、病に罹ること、死ぬこと。

これらは、避けることができないとお釈迦様がかつておっしゃったと言われています。

僕らのような個人事業主は、健康第一とよく言われます。

本当にそう思いますから、不摂生な生活は自分はあまりしていません。

むしろ、適度な運動も取り入れながら健康的な生活を送っているつもりです。

しかし、そうはいっても病気も死も老いも避けられません。

今日、体調不良のため病院に行ってきました。

ある検査をすることになりましたが、どういうわけか淡々と受け入れている自分がいました。

かつての自分であれば、(なんで自分が?こんなに健康的な生活をしているのに?)とやり切れない思いでいっぱいになっていたはずです。

年齢を重ね、経験を重ねてきたこともあるのでしょうが、お茶の稽古と読書の蓄積も大きいと感じました。

不都合を受け入れていける素地のようなものが、少しずつ創られていたのかもしれません。

淡々と従容と生きていくこととは、力強く生きることと同義なのだと感じました。

純粋な気持ち

本日は、八潮にて茶道の稽古でした。

なぜ、茶道をやっているのか?

読書のすすめの清水店長からいただいた貴重なご縁からです。

4~5年ほど前、どういうわけかふと茶道の稽古に通いたいと思ったのです。

今考えても不思議なのですが、その時にふとおもしろそうだなと純粋に思いました。

普通、自分の仕事に役立つことや能力開発につながること、夢や目標の実現に役立つことを学びたがるのでしょう。

しかし、自分の場合はそうではありませんでした。

そうしたものとは全く関係なく、ただ面白そうという関心からやってみたいと思ったのです。

そして、これがすごく大切なことに今振り返ると思えます。

役立てようとか、教養や礼儀作法を身につけようという目的ももちろん大切なことかもしれません。

しかし、それよりも面白そうという理由のほうがいいと自分は考えています。

人間は自分が思うほど合理的なものではないらしいですね。

たとえば、お金が儲かりそうな業務に就くより、自分がやりたいこと、自分の関心があることに取り組んだほうが、生きがいをずっと感じられるのではないでしょうか?

茶道の稽古に通っていることは、どうもそんなところに近い気がしてなりません。

関心があるからやっている。

にもかかわらず、結果として実は仕事にも日常にもすごく生きているのが、今の茶道です。

ところが、仕事に役立てようと茶道の稽古をやっていては、どうもそうならないような気がします。

ただ、お茶の世界にどっぷり浸かる。楽しく浸かる。

そうした純粋さが、物事に生きてくるのでしょう。

 

許認可手続きは緊張の連続

今日、医療法人の定款変更認可申請の件で午前中、すったもんだがありました。

どうすったもんだしたかといえば・・・。

決算期の定めです。

通常の会社であれば、決算終了後3か月以内に株主総会等を開き、決算を確定させます。

通常は2か月以内なのですが、法定の理由があれば3か月以内まで伸長できることになっています。

法定の理由とは会計監査人による監査等を指すのですが、会計監査人を置いていない中小企業であっても定款にその旨が規定されていれば、これは適用されます。

ところが、医療法人について2ヶ月以内なのか?3ヵ月以内でもいいのか?が、判然としなかったためです。

会社の定款とは異なり、医療法人の定款の場合は役所の認可が求められるため、確認を取る必要が出ました。

結論は、原則通りの2ヶ月以内。

3カ月以内と伸長できる場合は、会計監査人の監査が必要とされるような比較的大きな病院などに限られるそうです。

会社でいえば中小企業に該当するような診療所のみを運営する医療法人については、原則通りにしてくださいとのこと。

ただし、これは都道府県庁によって異なっていたりもします。

他の都道府県では、こうした特別の理由がなくとも3カ月目に社員総会を開いて決算を確定させる内容の定款にしてもいいですよとされたケースが実はありました。

このように許認可の場合、それぞれの役所の見解が多少なりとも異なる場合があります。

申請途中にも、(えっ!?)と思うようなことも結構あるものなのです。

慎重に慎重を重ねて手続きを踏んでいかなければとんだ落とし穴に落っこちてしまい、お客さんなどに大変な損害とご迷惑をもおかけしてしまいます。

そうならないためにも、やはり現場経験といったものがとても重要になります。

ドキドキした午前中を思い出し、改めて緊張感をもって業務に取り組んでいこう!と思いました。

やりがいと緊張感とは、本当にコインの裏表の関係ですね。

時は金よりも価値あり

昨日は、一般貨物自動車運送業の営業所移転にともなう変更認可申請の事前確認のため、某市役所に伺いました。

営業所の移転については、各市区町村役場での事前確認が非常に重要となります。というのも、運送業の営業所として適切な場所の建築物でなければ認可が下りないためです。

風営法の許可においてもこのような規制がありますので、許認可の際にはとても神経を使うところです。

都市計画図と照らし合わせ、どの用途地域に該当する場所なのかをしっかりと確認しておくことが求められます。

ここで不注意なミスが出てしまえば、すべての許認可はパーとなります。

これは何を意味するか?といえば、莫大な損害金とご迷惑を依頼人にかけてしまうのです。

許可を出すのは役所ですが、その見込みを判断し、依頼人に正確に伝えるのが、行政書士の役割です。

このように許認可が取れる、取れないは、依頼人にとって大問題になってくるのです。

現地に出向き物件を見て、担当者に直接確認する地道な作業が求められます。

責任が重いが故に大変でもありますが、大きなやりがいに通じるところでもあります。

まあ、そんなこんなで午前中は打ち合わせ、午後は経営事項審査や医療法人の定款変更等の資料あつめやら書類作成やらであっという間に夜になってしまいました。

「時は金なり。」と言われます。

しかし、時とは、金にも代えられないくらい貴重なものです。

そんな大切な「今」を共に過ごしてまいりましょう。

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