非凡とは?

ikiru異端であることに何か価値があるように僕は思う。

しかし、異端であろうとするとうまくいかないような気もする。

空手でもなんでもそうだろうが、基本の形がある。

その基本をおろそかにする=異端とするならば、それは違うのだろう。

天才であれば話は別だが、トリッキーな技、独特な技は、基本の形無しにはできない。

それと同じように平凡に徹することがなければ、能力は発揮されないのだろう。

才能がないと嘆くよりも、平凡に徹しきれない己の弱さを嘆くべきなのだろう。

自分は特別であろうとする前に、平凡な自分という存在を認めたほうがよいのかもしれない。

平凡な自分を徹しきることで、非凡という意味が理会できるかもしれない。

そんなことをこの本を読んで、ふと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です