純粋な気持ち
本日は、八潮にて茶道の稽古でした。
なぜ、茶道をやっているのか?
読書のすすめの清水店長からいただいた貴重なご縁からです。
4~5年ほど前、どういうわけかふと茶道の稽古に通いたいと思ったのです。
今考えても不思議なのですが、その時にふとおもしろそうだなと純粋に思いました。
普通、自分の仕事に役立つことや能力開発につながること、夢や目標の実現に役立つことを学びたがるのでしょう。
しかし、自分の場合はそうではありませんでした。
そうしたものとは全く関係なく、ただ面白そうという関心からやってみたいと思ったのです。
そして、これがすごく大切なことに今振り返ると思えます。
役立てようとか、教養や礼儀作法を身につけようという目的ももちろん大切なことかもしれません。
しかし、それよりも面白そうという理由のほうがいいと自分は考えています。
人間は自分が思うほど合理的なものではないらしいですね。
たとえば、お金が儲かりそうな業務に就くより、自分がやりたいこと、自分の関心があることに取り組んだほうが、生きがいをずっと感じられるのではないでしょうか?
茶道の稽古に通っていることは、どうもそんなところに近い気がしてなりません。
関心があるからやっている。
にもかかわらず、結果として実は仕事にも日常にもすごく生きているのが、今の茶道です。
ところが、仕事に役立てようと茶道の稽古をやっていては、どうもそうならないような気がします。
ただ、お茶の世界にどっぷり浸かる。楽しく浸かる。
そうした純粋さが、物事に生きてくるのでしょう。