茶禅一味
今日は、茶道の稽古でした。
先生がよくおっしゃることに「一つ」という言葉があります。
最終的には、みんな一つに落ち着いていく、和合するのだとおっしゃるのです。
自分にはまだまだそこにある深い意味がわかりませんが、自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。
職場に行けば好きな人、嫌いな人がいます。
これはもうどうにもならないこと、避けられないことだと自分は考えています。
仕事をしていればうれしいことも、落胆することもあります。
これもどうしようもなく避けられないことです。
家族と一緒に過ごすことにしても喧嘩や言い争いもあれば、仲良く楽しい時間を過ごせるときもあります。
しかし、こうして分けてしまえば、何かにつけて心が揺さぶられ、その主(あるじ)が不在となってしまいます。
人間は生まれた瞬間から死へ近づくと言われています。
おぎゃあと生まれたことは誠にめでたいことです。
しかし、同時に死という悲しみへの第一歩がはじまったことでもあるわけです。
では、めでたいのか?縁起が悪いことなのか?どちらなのか?と分けてしまえば、これもやはり主が不在の心となってしまいます。
だから、一つとは受け入れていくという意味になるのだろうと自分は考えています。
生死、苦楽、善悪。
どうも世の中は相反することで成り立っているようです。
本来は分けられるはずのないものを概念として考えるにあたり人間はどうしても分けてしまう習性があるようです。
本来は分けられるはずのないもの、一つということ。
そこにある意味を自分はまだまだわりえないでいます。